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第10回海外公演「雅楽の里帰り - 中国公演を終えて」


日本の優れた伝統芸能である雅楽の研究と演奏技術の習得、並びにその普及を目的として活動を進めている天理大学雅楽部は、雅楽の演奏による文化交流を通じて国際親善に寄与することを願って、海外における公演を行ってきた。
昭和50年を第1回として、これまで9回挙行している。昨年第9回目を、北米西海岸にて行ったところであるから、次回は平成7年という予定であった。とろが、突然降って湧いたように、中国公演の話を薬師寺より頂いた。
昭和55年、東大寺の昭和修理落慶法要の時、NHKと東大寺からの要請で、幻の天平芸能といわれていた伎楽の復元が企画されその演奏.-を私どもに依頼があって、つとめさせて頂いた。
その後、クラブとして約10年かけて文献に出てくる伎楽の演技の試作復元に取り組んできた。
そのような中、薬師寺でも伎楽をしたいとの話になり、独自の装束を製作した。折角であるからと、薬師寺独自の新伎楽を作製することになり、薬師寺ゆかりの玄奘三蔵の、インドヘの取経の旅を題材にしたものをということになった。

 

三蔵法師の取経といえば、孫悟空が活躍する『西遊記』がよく知られているが、玄奘三蔵自身が書いた『大唐西域記』があり、これを元に物語を作ることになった。
二年前に第一作が出来、玄奘三蔵には俳優の田村高広さんがなって、仮面を付けた学生との絡みで演じられた。
昨年は、山田吾一さんが玄奘の役で、第二作「高昌国の段」を演じた。
薬師寺は、信者さんによる写経によって伽藍の整備を行ってきているが、この写されたお経を納める旅を行っていた。今春に、その納経のための旅行を計画されていて、この時に伎楽を演じて貰いたいというのが、薬師寺の希望であった薬師寺からの要望は、3月15日に西安郊外にある興教寺における、臥仏の開眼法要における伎楽「金剛・力士」の演技、納経の旅参加者と、西安の市当局や仏教界の関係者を招待してのパーティにおける雅楽の演奏、そして翌16日、大慈恩寺における納経法要における伎楽「三蔵法師一高昌国の段」の奉納の三つであった。文化交流として西安音楽院での雅楽公演をセットして下さったが、これは学校同士の交流が適当とのことで、雅楽部主催となった。

中国行きの話が具体化するなかで、この機会に是非北京と營口で演奏ができないか、とのお話しを頂いた。相談の結果可能とわかり、早速準備に取りかかった。
結局、日程は3月13日から20日の8日間、公演地は西安、營口、北京の三箇所、公演は伎楽2回、雅楽4回の計6回となった。伎楽と雅楽の両方を演ずるため、現役部員の殆どが参加せねばならず総勢45名の大所帯である。経費は、往復の航空運賃と西安における一切を薬師寺が、北京と營口における一切を現地の団体が持って下さることになった。その他、国内における移動や、出発前の合宿を含めた経費は、クラブで持っことになった。
持参した曲は、先の伎楽の他に、雅楽として管絃「越殿楽」「陪櫨」、催馬楽「鈴之川」、舞楽「納曽利」「青海波」そして、お面をプレゼントするための「抜頭」である。これらの曲を、舞台によって組み合わせて演奏した。

3月13日早朝、名古屋の小牧空港から一路西安へ。
14日、大慈恩寺にてのリハーサルの他、西安の各地を見学。
15、16日と、前記の依頼公演を無事済ませ、16日夜、西安音楽院にて単独公演、この音楽院は、洋楽と中国の民族音楽の両方の専攻があり、音楽院のホールに同校の先生と生徒さんが熱心に聞いて下さる。
また、手配をして下さった薬師寺や、西安市の関係者が会場に駆けつけて下さり演奏後花輪のプレゼントを頂いた。
17日は、北京経由で大連へ。大連から迎えの車で高速道路を約3時間走って營口へ到着したのは翌18日未明であった。
營口は、現地でお仕事を現地の人のために行っている日本の方のお陰で、準備万端整っており、空港の到着と同時にテレビカメラが回され、これは營口を離れるまで密着取材である。これは後に、ドキュメンタリーの番組として放映された。大連空港と營口の往復を初め、市内を動くときにはパトカーの先導付きというⅤIP扱いである。
18日朝から、演奏会場である市の観覧席に2千人入る体育館に舞台の設営を行い、お昼は副市長主催のレセプションがあって、関係者との交流をもった。營口は、中国の東北部(かっての満州にあり、日本時代の建物が今でも残っているばかりでなく、教育を一緒に受けたという初老の紳士が、懐かしそうに日本語で話しかけて下さった。

京劇の専門家が舞台の演出をして下さっていた。広い会場であるから演奏にマイクが必要だろうと問われたが、5千人の体育館でもマイクを使わないで大丈夫であった経験から、要りませんと答えたところ、念のためセットだけしましょうと、用意をして下さった。
テレビ、新聞を通じての前宣伝のお陰で、会場は大入り満員となった。一通りのセレモニーの後に、現地では著名なアナウンサーの司会で、演奏会が始まって驚いた。会場は、話し声で演奏が聞こえないのである。用意した拡声装置が役に立った。
5人いる副市長の内4人までが出席して、の隣に陣取っていたのだが、演奏の途中で、あれは何を演じているのか等と話しかけてくる。どうも、演奏会でのお喋りは当たり前のようだ。
西安での公演でもそうであったので、翌19日の北京大学での公演も、このことが心配であった。中国風の校長事務棟と名付けられた建物の2階にある、講堂を会場として演奏会が開かれた。雅楽部OBの娘さんが、北京大学で宗教学を勉強しており、その方の努力によって、留学生と大学の京昆協会という京劇と昆劇のグループが中心となって受け入れをして下さった。
咳一つしない、一つ一つの演奏が終わるとタイミング良く拍手が来る、とても素晴らしい演奏会となった。
しかも、京劇のグループが私たちに、さわりの部分を演じて下さり、演奏会後、京昆協会の方と交歓会を持つというおまけが付いた。交歓会は、言葉がそれはど通じているとも思われないにも関わらず、例の如く話は弾み、時の過ぎるのを忘れてしまった程である。
この席、この会を指導しておられる心理学の教授が、現在の中国は経済ばかりに目がいって、京劇などの伝統的な文化に見向きもしない傾向に対して嘆いておられ、雅楽はどうですかと尋ねられた。今日でこそ、雅楽の公演はどこでも大盛況で、依頼演奏も数多く、なかなか要望に応じるのが大変であるが、雅楽部が演奏会を始めた頃は、市場リサーチによると、東京でさえ1千万都民のうち、演奏会に入場券を買って聞きに来る所謂愛好者人口が僅か8百人であった。
やはり、経済的に豊かになり、生活にゆとりが出来てきてから、自らの伝統文化にも目を向けるようになったのである。其の話をくだんの教授にして、経済発展のスピードは日本よりも速いので、やがて京劇にも多くの人が興味を再び持つようにきっとなる。それまで頑張ってください、と激励させて頂いた。一日もそのような日の訪れることを念擬して、最後の公演地である北京を後にし、帰国の途についた。

 

短時日の上に演奏会の多い、駆け足の旅行であった。これはいつものことであるのだが、中国は雅楽の源流地の一つで、いわば母胎といってもよく、その意味でゆったりとした里帰りをしてみたいという気持ちもある。近い将来に、中国の一般の人が京劇を愛でるように、雅楽に対しても心底味わってもらえる時がくるのでは、と今から楽しみにしている。帰国してから、西安から一連の手紙が書と共に送られてきた。当方で用意した曲目の解説をつけたプログラムを読んだ方からである。

そこには、クラブの紹介と共に天理大学の建学の精神を書いておいた。趣旨に賛同するというのである。はのかな匂いを残せたことを、喜ばせていただいた。       (S)