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モスクワ公演と音楽院でのワークショップ
3月6日、朝つとめ後、前真柱様に出発のご挨拶、天理教校のバスにて関西空港へ行き、全日空の国内線でまず成田へ到着、ここで出国手続きをして、エアロフロートにてモスクワへ向かった。モスクワは、雪解けがはじまっており、日中は道路が水浸しになる。夜には凍って滑りやすくなる。スノーシューズを履いたものでも転んでいた。モスクワでの宿舎は、姉妹校であるモスクワ言語大学の留学生寮である。9月訪問の折に、一度泊めて頂き、3月団体が泊めて頂けるように了解を得ていた。ミハイレンコ国際課長とアントニーナ寮長のお世話になる。宿舎には、天理からの留学生3名が住んでいた。海外部派遣の蛯原さん、ロシア学科を卒業した佐藤さん、4回生で研修に来ていた斎藤さんである。言語大学の日本センターのソンチェフ所長が会いたいといっているというので、曽山さんと大学へ行く。かつて大阪の領事館で8年間領事として勤めていただけあって、関西弁が流暢である。今回のモスクワにおける雅楽公演の準備について、率直な意見を聞かしてくださった。「日本には、船頭多くして船山に上るというでしょう。ロシアには、七人の乳母に育てられた子は片目を失うという諺があります。モスクワの公演については、そのことが起こっている。」というのである。4つの大学が引き受けてくれたが、誰かがするであろうと、4校とも引いてしまったのである。モスクワ大学の総長が副委員長をしている、21世紀委員会が引き受け手になっていると申し上げると、先生の奥様が勤めていたことがあって様子がお分かりらしく「あそこは軍隊に譬えるなら将軍がいて兵士のいないところです」と即座に答が帰って来た。これでこれまでのモスクワとの連絡の齟齬が漸く判明した。姉妹校なのだから、言語大学に任せて欲しかったと暗に仰っているようであった。しかし、日本センターができたのは昨年10月で、私達が昨年9月に訪問したときには未だ出来ていなかった。ソンチャフ先生のお話はいちいち尤もであった。宿舎に戻ると、通訳として全日程を同行してくださるセルゲイさんが来られていた。
明けて7日は午後からモスクワ大学での演奏会であるから、朝から大学へ向かい舞台の設営、照明の打ち合わせを行う。スターリン時代に建てられた仰々しい本館のグランドホールが演奏会場である。既にガブリコフ文化センター所長初めスタッフが準備をして待っていてくださる。照明の打ち合わせは、これからどこの会場でも大体同じパターンとなるので、通訳のセルゲイさんに念入りに説明をした。まだうら若い女性の技師は、一度聞いて分かったといって、仕事場へ戻った。ホールは少し古くがたのきているところもあるが、機材もそこそこ揃っており、これまで世界の著名な音楽家や役者達が演奏し、演技しているとのことであった。演奏会は、予定通り午後2時に始まった。観客の入りは予想どおりもう一つであった。照明は、非の打ち所のない完璧なものであった。演奏も随分引き立てられ、普段の力を十分に発揮できた。公演後、在ロ日本国大使館の広報文化センターの所長でもある川端一郎参事官、取材に来ていた国際放送「モスクワの声」の日本語セッションのエレナさんなどなど、口々に「勿体ないですね」と仰る。それでも、曽山さんの関わりのある方々や、天理でも馴染みの深い、ロシアアカデミーのタチアナ先生は、お弟子さんを引き連れてやって来て下さり、熱心に鑑賞していた。
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