第14回海外親善訪問旅行(ロシア・ウクライナ公演)報告 


シェフチェンコ記念オペラ・バレー劇場

オデッサ公演

 15日、今回の旅行最後の公演地である、オデッサに向かった。黒海に臨むこの都市は、もうヨーロッパである。オデッサは、ロシア学科へ教授として赴任しているボンダレンコ先生の故郷である。オデッサ大学に「日影」という名称の日本の文化と教育と言語を学ぶセンターがあり、ヴィクトリア所長と懇意であるところから、公演を引き受けて下さることになった。宿舎であるチェールナ・モーレ・ホテルでの打ち合わせが、日影と主催者の青年党でもたれることになったが、日影からは出向かえがあっただけで打ち合わせには誰も来なかった。16日の公演は、技術大学の文化ホールが会場であった。演奏会に先立ち記者会見がもたれた。いかにも「ニッポン」といったデザインのパンフが用意されていた。演奏会場は、少し古いが1300人の座席は、ゆったりとした空間を作っていた。時間になると全席が埋まった。子供達の姿が目立った。いつもなら、開演に先立ち曽山さんの演説で始まるのだが、セルゲイさんと相談、団長の佐藤が行うことになった。「ズドラストビーチェ」、一声に拍手が起こった。後は、日本語で話すと、セルゲイさんが上手く通訳して下さった。日本で最初のウクライナ語の辞書を、天理大学の日野先生とボンダレンコ先生とで編纂刊行されたこと、ボンダレンコ先生の娘さんが天理大学で学び、現在ウクライナの日本大使館に勤務していること、現在もオクサーナさんが勉学中であることなど天理とオデッサとの関係について話をし、天理大学は世界の平和を目指す天理教がその実現のための人材養成を行っていること、日本の優れた雅楽を皆さんに楽しんでいただくために学生がアルバイトをしてお金を貯めてやってきたことなどを話した。話の区切り区切りで盛大な拍手を頂いた。昼食の時に、青年党の人と景気づけのために飲んだウォッカが効いたのか、少し饒舌であったようだ。

 雅楽の公演の後、ファッションショーがあるとかで、一時間少々で終わるようにした。公演が終わると、沢山の人が当方が用意したパンフをもって、サインを貰うために列を作った。子供たちに感想を訊くと、「神秘的だけれど、論理的だ」などという哲学的な答えが返ってきたのには驚いた。パンフや会場費など経費の支払いをだれがするかで、少しの話の行き違いがあったが、当初の約束通り現地にお願いすることにした。


舞楽「納曾利」 モスクワ言語大学
再びモスクワへ

 全ての公演を終えて、モスクワへ戻った。モスクワを発つときから、言語大学のソンチェフ先生やモスクワ音楽院のマルガリータ先生が、戻ってきたときに是非もう一度モスクワで公演をと望んでおられた。是非実現したいとの要請が行く先々へ連絡が入った。結局、言語大学にお願いすることにした。ソンチェフ先生を中心に、留学中の蛯原さん、佐藤さん、研修中の斎藤さんなどが力を入れて、広報宣伝していた。帰国の前日で本来自由行動としていたのだが、最後の演奏会を持つことになった。言語大学の講堂に、僅かな準備期間にもかかわらず300人を超す人が集まった。雅楽にかけてくださる心意気は、演奏にも反映して、最高の出来となり、有終の美を飾ることができた。

 公演の後、ソンチェフ先生心づくしの交流パーティーを催して頂いた。全てを快く終えることが出来た嬉しさ、安堵感で満たされ、夜遅くまで現地の学生さんと交流会が続いた。18日、長かったロシア・ウクライナの旅も最後の日となり、お世話になった言語大学の宿舎の玄関でお別れ会を行った。特に現地の旅程を通訳として同行し、見事に成功に導いてくださったセルゲイさんに、感謝をこめて「抜頭」面をプレゼントした。アエロフロートで成田へ、全日空で伊丹着、夜天理へ戻り、旅の無事のお礼を申した。

 以上のように、今回も多くの方々の真実を頂戴して、ロシア・ウクライナ公演を終え させていただいた。未筆ながら、御礼申し上げたい。誠に有難う御座いました。


 追記:昨年(2001年)末の12月23日、モスクワ音楽院の招請により雅楽をモスクワにて再演した。5名の小編成であったが、管絃「越殿楽」、舞楽「抜頭」を披露した。これは、同音楽院主催の「日本の心」と題された3ヶ月に及ぶ日本音楽祭の最終日で、天皇誕生日をお祝いする演奏会でもあった。栄光ある音楽祭のトリをつとめさせていただいた。(S記)




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