翌7日、バルセロナへ向けて出発である。何か大和と共通した懐かしい感じのガルシア地方とお別れである。約1時間半のフライトで、太陽の降り注ぐバルセロナに到着する。

テレビのCMでもお馴染みの、外尾悦郎さんが出迎えて下さる。バルセロナは、日本出発までには宿舎が二転三転して決まらず、結局、スペインに入ってから決まった。海外で使用できる携帯電話を持って行ったのが功を奏した。便利なものである。しかも、先年に雅楽部の監督となり、今回の副団長である山中修吾さんが、英語の達人であることは承知していたが、スペイン語が堪能であった。これに、海外部から映像担当として同行して下さった伊藤宏幸さんも、スペイン留学組なので、鬼に金棒である。バルセロナの宿泊は、今回のフォーラムの主催者であるバルセロナ市がホテルを用意しているというのである。ホテルの位置は、バルセロナの中心部より少し離れているが、地下鉄が整備されているので問題はなかった。ただ、ホテルの前の道路が狭く、観光バスやトラックが入らないため、荷物の運搬には苦労した。

 8日、文化フォーラムの会場にある、ギリシャ劇場での演奏である。ホテルから会場へは、地下鉄を利用した。荷物は、レンタルのトラック、運転は外尾さんである。外尾さんは、バルセロナ滞在中、常に私たちと行動を共にして下さり、空港とホテルの往復以外、ずーっとトラックの運転をして下さった。これでサグラダファミリア聖堂の完成も、少し遅れることになったかも知れない。文化フォーラムの会場は、バルセロナ郊外の広い敷地に設けられていた。中に各種の展示場や劇場が建てられ、各種の催しが開かれていた。入場にあたっては、マドリードでの列車爆発テロの後でもあることから、警戒が厳重で、入場用のパスポートの提示は勿論、空港での検査のようにボディチェックや荷物の赤外線透視などが行われていた。

 ギリシャ劇場は、500人収容のホールで、各種の演奏会が行われていた。当初、2時間の公演時間と聞いていたのだが、会場へ行ってみると30分しかないという。急遽、舞台の設営の仕方と曲目を変更した。高欄を出さず、舞楽の配置で、管絃を演奏し、舞楽は「抜頭」1曲にした。午後1時半の開演時間には、どこから来たのか会場が満杯となった。どうも、現地における全体の主催者であるバルセロナ市の担当者と、「世界宗教会議」のイベントを担当している人との連絡がうまくいっていなかったようである。会場の舞台のスタッフが、全部がみられないのと残念がっていた。公演後、会場の一角にしつらえられた仮説テントの食堂で、シーク教徒の方が、食事を接待しているというので頂き、別室でインド音楽の演奏を楽しんだ。

 ところで、文化博覧会「万国文化フォーラム−バルセロナ2004」の数ある行事の一環として開催された「世界宗教会議」は、もともと、世界の宗教指導者、教団の代表者、神学者、宗教研究者等が集まり、相互に意見の交換を行うことを目的に始められたものである。その歴史は古く、明治26年(1893年)にシカゴにおいて第1回の大会が開かれ、若き鈴木大拙も参加している。平和について話し合い、祈りを捧げることは、毎年どこかで開催されている程珍しくはないが、当時としては、画期的なことであった。趣旨は素晴らしいのだが、なかなか続けて開催されることが難しいのである。第2回目が開催されたのは、昭和8年(1933年)のことで、シカゴ市内の「ホテル・モリソン」が会場であった。この時、中山正善二代真柱が出席している。その後、戦争や東西冷戦の影響もあって開催されることなく、第1回目から数えて百年後の平成5年(1993年)、再びシカゴで開催され、以後、平成11年南アフリカのケープタウン、そして今回スペインのバルセロナでの開催となったのである。今回の会議には、世界75カ国から約8千人が参加したという。天理からは、上谷博天理大学名誉教授、馬場郁生天理教校研究所研究員、岩切耕一天理日仏文化協会長が参加、これに雅楽部が演奏で加わったのである。期間中、フォーラム会場のひときわ大きなコンベンションセンターにおいて、この会議の「平和への道−聴く知恵、関わる力」という統一テーマのもとに、講演会、討論会、ワークショップ、演奏会など500近いプログラムが組まれ、実施されていた。9日のお昼、上谷教授はその中の一室で、「世界平和建設に向けて−天理教からの提言」と題し、150名あまりの聴衆を前に、スペイン語で一時間にわたり講演した。

 

 

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