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第22回海外公演 (オランダ、ドイツ、フランス、イギリス)
平成23年9月6日〜18日


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9/ 8 アムステルダム音楽院演奏会(アムステルダム オランダ)
9/10 日独交流150年式典・記念演奏会(ケルン大学 ドイツ)
9/12 パリ ギメ博物館にて雅楽ワークショップ(パリ フランス)
パリ 日本会館演奏会
9/14 ミュンヘン演奏会(ミュンヘン ドイツ)
9/16 ロンドン大学演奏会(ロンドン イギリス)


 

パリのギョメ東洋美術館 には 奈良時代(710年-794年)のカルラ面があるので、今回の演奏会では 伎楽「カルラ」も演奏する

2011 年9 月6 日から18 日までの13日間、第22 回目となる海外公演を挙行した。

今回は、オランダ(アムステルダム)、ドイツ(ケルン・ミュンヘン)、フランス(パリ)イギリス(ロンドン)の4 カ国5 都市において、6 回の公演を行った。
この公演は、ミュンヘン在住のツェルセン孝子さんという一日本女性の願いが発端となり、実現したのである。バイエルン独日協会に所属する孝子さんは、日本訪問団の一員として奈良を訪れ、大安寺にて私ども雅楽部の演奏を聴いた。
雅楽の演奏にいたく感激した孝子さんは、雅楽部のミュンヘン公演を打診してきた。
4 年前のことである。孝子さんの願いを叶えるべく模索していたところ、2011 年が日独交流150 年の記念の年であるところから、この年に実行すべく計画をすすめたのである。
ミュンヘンからは、バイエルン独日協会より早々に招請状が届き、市が所有しているカール・オルフ・ザールを予約したと連絡があった。
ミュンヘン以外の地域での公演をと、ケルンにて天理文化工房を主宰し、ケルン大学において雅楽を指導している、雅楽部OBでもある志水美郎氏に相談したところ、氏の骨折りによりケルン大学はもとより、ヨーロッパ各地での公演が着々と決まった。

9 月6 日日本を発ち、時差があるので同日、オランダのアムステルダムへ到着した。
こちらの連絡ミスでルフトハンザからオランダ航空に変更になったことが現地に伝わっておらず、空港にはどなたの迎えもない。
ドイツへ連絡すると、幸いバスも人も空港へ向かっているとのことでまずは一安心。
ニューヨークから参加のOB 柿谷氏と現地で合流した。柿谷氏はロンドンの公演が終わるまで一緒である。

翌7 日、ウォーミングアップと休養を兼ね、演奏会場となるアムステルダム音楽院(Conservatorium vanAmsterdam)のベルナルド・ハイティンク・ホール(Bernard Haitink Zaal)の下見とともに、現地の三浦峰子、真理子さん母娘と中山教子さんのご案内を得て、市内を見学した。
中でも、峰子さんのご主人である孝二さんのご手配により、ゴッホ美術館は見応えがあった。 
最初の演奏会場となるアムステルダム音楽院は、1884 年に設立された国立の音楽院で、クラッシックからジャズ、ポピュラーまで幅広い音楽を扱い、殊に現代音楽の分野では、高い評価を受けている。
近年、アムステルダム駅の側に機能的でオシャレな学舎が建築され、この中に、舞台の後方にも客席のあるクラッシックコンサート用のホールがある。ホール名のベルナルド・ハイティンクというのは、アムステルダム出身の名指揮者であるベルナルト・ヨハン・ヘルマン・ハイティンクの名前からつけられたものである。
ハイティンクは、アムステルダムに本拠地を置くコンセルトヘボーの首席指揮者をかつてつとめ、来日の回数も10 回に及ぶ、日本でもお馴染みの指揮者である。
この音楽院で公演することになったのは、ここで作曲を学んでいる小田侑氏のお誘いによるものである。小田氏は雅楽を学ぶために、わざわざケルンの志水氏の元に通っているという。

9/ 8 アムステルダム音楽院演奏会(アムステルダム オランダ)


演奏会は午後8 時開始である。今回の公演はフランスのギメ博物館を除いて、まず伎楽の「迦楼羅」に始まり、管絃「越殿楽」「陪臚」、舞楽「納曾利」「太平楽」、そして最後にプレゼントとしてお面を渡す「抜頭」の順序で演奏した。
450 ある座席もほぼ満員と埋まった。一つひとつの曲が終わる毎に、拍手の数が増していくような、お客様の反応がとてもよい。演奏が終わると、質問に多くの人が演奏者のところ集まった。
中には、30 年前、パリで購入したレコードで雅楽が好きになり、いつも聴いているが、生演奏を聴くのは初めてだと、顔を紅潮させて話してくれた年輩の紳士もいる。滑り出しは好調である。「始め良ければ、終わり良し」となることを祈った。

9 日朝8 時にアムステルダムを出発、バスでケルンへ向かう。約6 時間半の行程である。
途中、ドイツに入ってからドライブインで昼食をとり、午後2時30 分過ぎ予定通り天理文化工房に到着する。
既にクラーツ博士と、天理から学長の随行として参加している森本教授がおられ、クラーツ博士とは4 年ぶりの再会。久闊を叙す。
志水氏の案内で工房の内部を見学、丁度、木の木目や形を利用した作品が展示されていた。志水氏の工房では、展示場がホールとしても使え、小さなコンサートやドラマも演じられている。幅広い文化活動に対して、志水氏は、平成22 年2 月12 日に、日独学術文化関係促進財団JaDE 賞を、ケルン日本文化会館ホールにて受賞している。
程なく、ケルン大学で開かれている日独交流150 年記念のシンポジウムに参加している飯降学長と東馬場教授が到着、工房の前で一緒に記念撮影の後、ホテルへ入る。
慶應大学の柔道部と同宿となり、フランス人の先生は、天理へ何度も通ったと懐かしそうに話をして下さる。

9/10 日独交流150年式典・記念演奏会(ケルン大学 ドイツ)

10 日午前中、永広朋子さんの案内でケルン市内を見学。特に大聖堂や発掘された古代遺跡のモザイクがそのまま展示場となっているところなどを見学し、ライン川の川沿いを散策した。
レストランで昼食後、ケルン大学の演奏会場へ。舞台の設営。
千人収容のケルン大学講堂Koln Saal が会場である。真ん中で仕切れる構造であるところから、約500 席にして公演が行われた。
まず、午後6 時から日独交流150 年記念行事として、シンポジウムの最終日を飾る行事として雅楽に関する講演と実際の演奏があることを、エムケー日本学科主任が開会の挨拶を述べた。
続いて、イングリッド・フリッチュ(IngridFritsch)ケルン大学日本学科教授が、専門が民俗音楽、日本学、比較宗教学であるところから、「雅楽の温故知新」のタイトルで、日本の文化伝統とその中の雅楽について約45 分間、パワーポイントを利用して講演、後半で、天理大学は、学生がその伝統芸能である雅楽をよく伝承していると、お誉め言葉を頂いた。
7 時30 分より、雅楽の演奏が始まった。伎楽から最後の抜頭によるお面贈呈まで、会場いっぱいの観客が、曲が進むにつれて吸い込まれていくように聴いていた。終わると、盛大な拍手に会場は包まれた。
この会場には、舞台用の照明機材が揃っていたのだが、公演を主催する側が、照明担当者に依頼しておらず、使用することができなかったのは、誠に惜しい限りである。
演奏会後、ホールのロビーが会場となってビールと簡単なつまみによるパーティーとなった。
途中でスピーチとなり、佐藤団長がお礼の言葉を、独日友好協会Deutsche-JapanischFreundschaftsgesellschaft の会長が、これまで多くの日本からの文化交流があったが、素晴らし雅楽の演奏が披露され、150 年の記念に花を添えたと述べ、ケルン大学に雅楽の研究と演奏のグループを組織したギュンター博士に敬意と感謝の言葉を捧げた。
最近、とみに弱られて出席も危ぶまれていたギュンター博士は、奥様の介添えを得て、出席され、演奏に深い感動をしたと語っておられた。
指名を受けた飯降学長が、相互に歴史と文化の違いはあるが、きょうだいとして交流を一層深めたいと挨拶した。
大学で予定をしていた雅楽のワークショップは、ケルン大学の多くのメンバーが他国へ研究のために出掛けていたのでできなかったが、公演後のレセプションを利用して、数名のメンバーが学生から雅楽の楽器について実際に楽器を用意をして話合い、実質的なワークショップとなった。

11 日朝、ケルンを出発、一路フランスはパリを目指す。約8 時間でパリの宿舎であるヨーロッパ出張所に到着、休養をとる。

12 日、午前中、ギメ博物館でのワークショップが午後の1 回だけになったというので、パリ市内を見学し、お昼を兼ね天理日仏文化センターを訪問、都留田所長より、日本語学校を初め各種の日本文化について行われているプログラムの紹介を受けた。地下の小さなホールでは、歌や踊りの会場となり、展示スペースでは、各種の展覧会を開催しているという。
私たちが訪問した折には、大阪在住の立体造形作家であるフジモトアキコさんの和紙による作品が展示されていた。同センターは、今年、永年の活動を評価され外務大臣表彰を受けたという。

9/12 パリ ギメ博物館にて雅楽ワークショップ(パリ フランス)


午後、ギメ博物館におけるワークショップのため会場へ。ギメ美術館は、リヨン出身の実業家エミール・ギメ(1836‐1918)の古代エジプト、ギリシャ、ローマ、そしてアジア諸国に関する宗教博物館を創るという構想によってできた。
実際に世界を巡ったギメは、各地で収集した重要なコレクションを当初リヨンで展示したが、パリに建造させた博物館に移管、1889 年博物館として開館したのである。
1927 年、ギメ博物館はフランス博物館総局の指揮下に入り、ポール・ペリオやエドワール・シャヴァンヌといった中央アジアや中国に派遣された遠征隊が請来し貴重な収集品を受け入れるなど、特にアジアの優れた美術品の収蔵し、近年の大改修による展示場の充実によりアジア美術に関する世界有数の博物館の一つとなった。
本来、美術館に付設されているホールでの公演が計画されたが、日程が空かず、パンテオンと名付けられた一室にて披露することになった。30 席限定のワークショップとなり、実際には、立ち見を入れて40 人程の参加者の前で演じた。
管絃、謡物、舞楽を先に短いバージョンで演じ、最後に伎楽、迦楼羅を演じ、伎楽がどのように復興したかを話し、面や装束、演奏形態について説明した。その後、参加者の質疑応答の時間を設けた。狭い空間で、メンバーを通常より減らしての演奏でも、直接の音はやはり迫力があり、その意味であまり経験することのない、ワークショップの名に相応しいものとなった。
ミスの少ない今回の公演の中で、唯一、太平楽の曲の途中で篳篥が止まりそうになったのは、旅の疲れがあるとは言え、惜しいことであった。
博物館の厚意により、伎楽面が展示されている館内を見学させて頂き、大仏開眼法要の折に使用されたと伝えられている迦楼羅を初め、5つの伎楽面を間近で対面することができた。

9/12 パリ 日本会館演奏会(パリ フランス)


ギメ博物館から急いでシティにある日本館へ移動、演奏会の準備を行う。日本館の正式名称は「パリ国際大学都市日本館薩摩財団」と呼ぶ。
これは、駐日フランス大使で詩人・劇作家でもあったポール・クローデルによる日本館建設の提唱に対して、日本人実業家の薩摩治郎八氏が1920 年代当時350 万フランの私財を投じてこれを建築し、大学都市に寄贈したものである。
日本の城廓を模した地上7 階・半地下1 階の建物と、館の周囲に1825 平方メートルにおよぶ日本庭園とがあり、日本的な雰囲気を醸しだしている。
藤田嗣治の絵が掲げられているところとしても有名で、その絵のある広間で演奏したのである。
120 席の椅子を用意して観客席としたが、入りきれず部屋の横のドアを開けて廊下側からも鑑賞できるようにした。舞台となるスペースは十分確保できたので、通常のスタイルで演奏を行った。パリを拠点にヨーロッパ各地で活動している前衛舞踏家や、たまたまパリに公演にきていたビルマの影絵のグループなど、芸術関係者が多く鑑賞していたようである。
近年まで大学でフランス語を教えていた山本教授も会場に現れ、懐かしい再会となった。
午後8 時30 分から9 時30 分の演奏があり、その後ワインと少しのつまみによるパーティーで、終わって宿舎へ戻ると真夜中となった。

13 日早朝、今度はパリからミュンヘンへの移動である。11 時間の行程である。ミュンヘンでは午後7時にバイエルン独日協会がディナーをご用意して下さっているので、7 時到着を目処に、8 時出発となったのである。
ところが迎えのバスが渋滞のためなかなか来ず、結局2 時間遅れて着たので、アウトバーンを飛ばすかと思ったなら、バスのスピード制限があるためか、100 キロしか出さず、その上、8 時間走ったから休まなければならないと、トイレ一寸した飲み物と食べ物しか売っていないドライブインで45分間も休憩となった。
到底、ディナーの時間には間に合わないので、お断りの連絡を入れ、途中のましなドライブインで夕食を摂った。結局ミュンヘンに到着したのは、午後も11 時を回っていた。

14 日の午前中、小雨の中、ミュンヘン市の中心部へ出掛ける。市庁舎の時報を知らせるカラクリ人形の見学が目的である。11 時の集合時間まで、自由に見学や買いものをするようにした。11 時、多くの観光客に混じって三々五々と集まり、音楽にあわせて繰り出す有名なカラクリ人形を見学する。
市庁舎の向かいにパン屋さんがあり、好きなパンをそれぞれ選んで、宿舎へ持って帰って食べることにする。

9/14 ミュンヘン演奏会(ミュンヘン ドイツ)


少し休憩して午後3 時に演奏会場であるカール・オルフの名前をとったCarl-Orff-Saal に入る。会場には、すでに孝子さんがお出でになっており、ホールへの荷物の搬入や楽屋への手配などをして下さる。
カール・オルフは、ミュンヘン出身の作曲家でカンタータ「カルミナ ブラーナ」(Carmina Burana)の作曲者として有名である。この曲は、1803 年、ボイレン修道院の国有化にともない調査が行われた折、図書室からラテン語、古いイタリア語、古いドイツ語、古いフランス語などで書かれた歌を集めた写本が発見され、約300 編にものぼる歌の中から23 編を選び、オルフ自身の作品を1 編付け加えて作曲したものである。
詩の多くは、11 世紀から13世紀の間に修道僧によって書かれたものと考えられており、内容は、信仰とは遠くかけ離れたというよりは信仰を揶揄し、怒り、愛、酒、性をテーマにした世俗的なものが殆どである。この曲の最後の合唱部分“O Fortuna”(おお、運命の女神よ)は、映画『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』において、人身御供から心臓を取り出すシーンで使われて一般に知られるようになり、CM やイベントなどで多用されるようになった。
カール・オルフを知らないドイツ人はなく、ましてミュンヘンではなおさらである。
この会場での公演は、午後7 時から8 時30 分である。現地のバイエルン放送局が全公演の録音のため、担当者がセッティングを行い、リハーサルを兼ねて音量等の調節が行われる。照明機材も揃っており、舞台サイドから赤、青の照明を入れて貰った。
太平楽で抜刀したとき、太刀に当たった赤・青の光が走ることにより、太刀の動きが一層鮮やかとなる。
まず、独日協会の開会の挨拶があり、準備した曲を正式に演奏した。ところが、曲が終わっても拍手一つこない。ドイツの観客がシビアなのは先刻承知だが、管絃、謡物、舞楽と進んでも同じである。
最後に抜頭の面を、バイエルン独日協会のルイダー パイゼン会長に渡すと満場の拍手である。
演奏者がフィナーレとして並んで礼をするとより一層高らかな拍手である。舞台から演奏者が消えてもなかなか拍手が止まない。所謂カーテンコールである。
しかし、学生が気付かず暫く拍手が続いたが舞台に現れないので、照明担当が会場に明かりを点けると、漸く拍手が止まるといった状況であった。
照明を担当してくれていた志水氏に伺うと、最初に開会の挨拶に立った独日協会の女性が、「日本の芸術は拍手をするところが難しいので、無闇に拍手をしないように」と注意をしていたとのことである。それで納得いったことがある。
私はクラブの記録用のカメラを預けられていたので、座席の最後部で観客の邪魔にならないよう、カメラのシャッターを切っていた。拍手のタイミングが難しかろうと、伎楽が終わった後拍手をすると、近くにいた女性が振り向いて口前に指を立て「シーッ」と咎めた。
同じく管絃の「越殿楽」が終わった時もそうであったので、拍手をすることを諦めたのである。途中で拍手する機会を失った観客が、最後に思いっきり拍手をしたのだった。

15 日、オランダ、ドイツ、フランス、そしてドイツと一緒にスタッフとして活躍してくれた志水氏と別れて、午前便でロンドンへ向かう。
KLM であるからアムステルダム経由である。現地時間午後3 時前にヒースロー空港に到着する。

9/16 ロンドン大学演奏会(ロンドン イギリス)


まず、会場となるロンドン大学SOAS にあるブルネイ・ギャラリーのホールを見学する。舞台が奥行きが極端に狭い。おまけに舞台に置かれた演台は動かせないとのこと。太平楽の舞人に、舞手を少し変えて舞うように指示する。
SOAS と天理大学とは、この度学術提携を結んだばかりである。しかし、雅楽部は、SOAS のヒューズ教授とは永年のお付き合いである。
1988年天理雅楽ヨーロッパ公演では、先生の御世話によりロンドン大学のブルーズベリー劇場で公演を行うとともにい、BBC で録音を取り放送している。
また、1995 年の雅楽部ヨーロッパ公演では、ロンドンのバレーの劇場として知られているサドラーズウェル劇場で演奏を行った。
今回も先生には、雅楽の紹介記事を御執筆頂いている。聞くところによると、演奏会のチケットは早くになくなり、問い合わせのメールが沢山届いているとのことであった。

午後7時からの演奏会には、大勢の方が入場、まだチケットを手にしたいない方がキャンセル待ちで、入り口で待機していた。ロンドンでは、スタッフとしてイタリア経由で駆けつけてくれたOB の井上氏が、白神氏と共に加わる。
演奏会は、まずヒューズ教授によって雅楽と天理大学雅楽部の紹介があり、1 時間の限られた時間であるから、ショートプログラムで演奏を行った。
お面の贈呈そして出演者全員が舞台に立っての礼に、会場から「ブラボー」の声とともに、盛大な拍手が鳴り響いた。「終わり良ければ全てよし」、今回の公演も、満足のいく公演であった。
公演後、ホールとロビーに付設した空間で、パーティーが催され、ロンドン大学のメンバーと交流を深めることができた。

今回の公演旅行も、本当に多くの方の御世話取りを頂き、無事、成功裡に終えることができた。
まず、現地で受け入れて下さり、公演の準備をして下さった各大学、博物館、独日協会などの各団体ならびに関係者の皆様、また、国内にあっては、資金の助成をして下さった国際交流基金、大学当局、大学後援会、OB 会などの各団体および関係者の皆様、さらに、お土産用のお面や、舞台道具などの製作に協力して下さっている紋郎美術工房、重量制限から物品を段ボールで運ぶために、しっかりした段ボールを注文通りに製作して下さった三和紙器(株)など、数え上げるときりのない多くの方々のお心寄せを頂いている。
誠に有難う御座いました。(S 記)

(追記) 旅程をみて頂いたならお分かりのように、今回の旅行は、国際線以外は殆ど長距離を貸し切りバス、現地では通常の交通機関を利用しての移動であった。経費を安く上げるというのが一番の理由であった。しかし、実際に平面を移動してこれまで気付かなかったことを多く学ぶことができた。
なによりも先ず、車窓に繰り広げられる風景である。同じヨーロッパでも、歴史と文化が違えば、風景に違いがあり、それが見えてくるのである。現地の方々が日常利用しているバスや路面電車や地下鉄を利用すると、現地の生活を肌で感じることができるのである。これは何よりも得難い経験であった。

私たちが1995 年にヨーロッパにおける演奏旅行を行ったのは3 月のことである。その1 月11 日に阪神淡路大震災が発生している。今回は、東日本大震災である。多くの被災され方の心中、いかばかりかとお慰めする言葉もなく、今はただ、一日も早い復興を祈念するのみである。
阪神淡路大震災の折には、訪問国における公演会場で義捐金を募って下さり、終了後、現地の兵庫県事務所の方へお渡した。
その後、雅楽部では、世界で起こった災害に注目し、日本国内での公演の折に義捐金を募り、日本赤十字社を通じて、寄付させて頂いている。
今回は、訪問した各国とも、早々にお見舞のメッセージと共に多額の義捐金と物資並びに人的援助を寄せて下さっているので、私どもは、いわばお礼の意味をこめた公演とさせて頂いた次第である。
今回の震災は、福島にある東京電力の原子力発電所が被災し、放射能汚染という目に見えない災害に遭遇し、未だに解決に至っていないという悲惨な事態を招いている。原子力発電の是非、代替えエネルギーの模索など、識者のみならず喧々諤々たる意見がなされ、一般の耳目を集めている。

今回、バス移動によって気付いた、もう一点に触れておきたい。最初の訪問国はオランダであった。周知のようにオランダは風車で有名である。ところが、内陸を走った所為でしょう、風車は全く目にすることがなかった。
逆に、ドイツはケルンにむかい、ドイツへ入った瞬間、いたるところ、大きな風車(風力発電用のプロペラ)が林立していた。
今度は、パリへ向かうため高速道路を走ると、フランスに入るなり目に付いたのが、原子力発電所の例の鼓の胴に似た建造物である。
また、ミュンヘンへ行くためドイツへ向かうと、パリの周辺では見かけなかった例の建造物が国境沿い並んでいた。ドイツへ入ると、同じく何本(機と数えるのだろうが)もの風車がゆったりと回っていた。
ご承知のように、フランスは原子力発電の他の発電に対する比率が世界一である。お隣のドイツに電力を販売しているほどである。
日本のように、他国と国境を海上においてのみ接触しているところでは、決して分からない、陸続きの国境を有する国々の苦悩を垣間見たようで、貴重な経験に感謝した次第である。